いじめも戦争も
とある中学生の“いじめ”の動画を見た。
酷いな、とも思うけど、こんなのどこの学校でもあるだろうなとも思った。
許せる許せないとかの話ではない。
まぁ、表面化するかしないかってだけのこと。
ところが当件については数ヶ月前から学校も教育委員会も警察も認知していたようだ。
しかし、このザマである。
いじめ なんてどこにでもあるし、なくなることはないだろう。
警察学校でさえもあることだし、学校じゃなくてもあることだから。
ヒトが2匹以上いれば優劣ができて差別化されるのだ。
平等なんてない。
少年法改正(適用年齢を20歳未満から18歳未満に引き下げる)の法案が出ているそうだが、私は賛成である。
反対派の主張としては更生に期待とか時間を奪ってはいけないとかという人権的なものだそう。
加害者を守れば被害者は増えるし深く傷つく。
最初に中学生の“いじめ”についてふれたが、暴行、傷害罪である。
当然、法的措置があってもおかしくないのだが学校というは時に小さな国というかセルフ簡易裁判所となり、法的措置をとらせない。
問題をオオゴトにしたくないのだろう。
日本の美徳というのは本当に気持ち悪い。
和の心なんて持たずに荒波立てていこう。
しかし、被害届を出し起訴しても場合によっては原告である被害者が損をすることはよくある。
日本はそういう国らしい。
被害者は被害を訴えず、耐えて、同調圧力に屈するしかないのか?
いじめ や ハラスメント といった各種の暴力があるが、被害者が被害を訴えても、1匹のバカやたくさんのバカどもにかき消され、更に沈んでいく。
法も当てにならない。
暴力には暴力で対抗するしかないのだろうか。
そしていじめも無くならないし、戦争もなくならない。
生きるということは命を奪うことでもある。
自殺より他殺が多い国は治安が悪く映るが、ある意味健全なのかもしれない。