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今日も今日とて不幸自慢と自虐風自慢とただの自慢などが溢れている
某SNSから去ってからはそういう自慢を見る機会は減ったけど、はたしてあれらは投稿者の問題か、それを見る者の問題か。両方か。
捉え方の問題というのは厄介というか面倒だな、と思う。これこそ都合よく善悪が変わる。
捉え方によっては自身を被害者ぶることもできるが、相手が被害者ぶるような捉え方をすると、その「捉え方」を認めない場合が多い。
一方的である。
戦争みたいだ。
同じ事象でも自分が加害する言動は善くても、被害者になると悪となる。
日本はクソ。
広島の原爆とかまさにそれで、なんで被害者面しているのかさっぱり分からない。
学校教育もそういう被害のところばかりを強調しているが、それを正しい「教育」とは俺は思わない。
日本の学校教育は日本にとって都合のいい洗脳である。
そろそろ右翼のやつらに絡まれないかと不安に思っているが俺は別にどこにも属していないし個人の感想なので、と一応予防線を張っておこう。ネットの海にゲロ吐くくらいいいだろう。
そもそも小中高の授業形式が悪い。
今日ちょっと教育についての本を読んだが、仕方ないのかなと思う。どこぞの少年革命家じゃないけど、学校なんて行かなくていい。
どれだけ学校(笑)の勉強(笑)ができたとしても社会で活躍するかは別だ。
ウェイ系みたいだが、割とマジでコミュニケーション能力の方が社会で生きていく力になる。
まぁ、イワシ的な社会での話だけど、この体制は普遍的なものだと考えている。
日本に生息するヒトの生態はイワシとほぼ同じだ。
満員電車、エスカレーター、まるで工場のベルトコンベアを流れる機械にように流されていく。
そうすれば無難だから。
みんなが矛であり、盾なのだ。
何をいってんだかね。
右も左も見方次第ってことで
まぁ自分にとって都合のいいように捉えるってのは脳的に健康なことだろうからね。
そう思うと健康ってのは時に暴力的だね。
誰が健康になれば誰かが不健康になる。