進め一億火の玉だ?
自然災害なんかが起きると当然交通麻痺が起きる。
駅は社畜の群れ。
こういうことが起きる度にこいつらの滑稽な姿が見れて少しニヤッとする。
定型発達症候群の皆さん、お疲れ様です!
まぁ、非定型発達の人でも出勤しなきゃ、と意地というか強迫的に行動しかねないのだが。
しかしこういうのに弱いのは定型発達のやつらだ。
ベルトコンベアが止まって詰まった商品みたいになる。
まぁ、やつらがバカなのもあるけど、その勤め先の社畜小屋がバカなんだよね。
結局はバカがバカを苦しめているってだけのことなんだけど。
バカなとこに勤めてるやつもバカなのだ。
それが仕事ってもんだろ、とバカは云うだろうけど、そのおかしさに気づかないようじゃダメだ。気づいた上で惰性でやっているってのもアホだ。こういう時の法は割と有効的である。
ある日、ある地域で特別大雨警報が出た。
その地域のある小学校が休校にならなかったため、ある人は息子を送り出した。
しかし、送り出した後、親として学校を休ませる、という選択肢もあるのではないか思った。
不安を感じながらも学校の判断に従ったのは学校を休ませる勇気が自分になく、かつ、非常時の判断を他人任せにしてしまっているからではないか…
組織や集団が常に正しい判断をするとは限らない
と、ある臆病な毒親が云っていた。
しかしその事に気付けただけマシなので今後、解毒されてマシな親になれることを期待。
この文を見て、ある光景を思い出した。
2018年の10月のある駅伝でのこと。
ある走者が転倒し、四つん這いになりながらも次の走者へタスキを渡そうと必死になっていた光景だ。
当件についてはテレビでも報じられ色々な意見があがった。
その映像を観た際に真っ先に「あー、日本だなぁ」って思った。
あと転倒の原因が他の選手によるものに見えた。それも意図的ではないか、と。
煽り運転のようなものだ。
日本も女もこわい。陰湿だ。
スポーツも“仕事”も必死になってまでやるもんでもない。
もちろん、そうしてこそのものだという意見も分かるが、それを美談にすると負の連鎖は止まらない。
先程“仕事も”と書いたが、正確には民間企業や公務のことを指した。
第一次産業は命に直結しているから必死になる必要がある。食えなきゃ死ぬだけのことだからね。
おいおい、第二次、三次産業だって働かないと稼げないんだから飯が買えなくなって結果的に死ぬことになるじゃねえか、ってなるだろうけど、それは少し違う。
無駄金省いてベーシックインカム導入してみんな自給自足したらいいのにな。