海を渡る
多くの人はどこかに寄生している。
親、パートナー、子、学校、仕事、芸事、インターネット、社会保障、などなど
それらの寄り先を「船」だとする。
人生は海
船酔いしたり、船の居心地が悪かったり、船が壊れたり、自分の行きたい方向と違う方向へ向かっていたり、そういうトラブルはある。
自分がその船の船長だとしてもだ。
港に寄港する。
違う船に乗り換える。
航海することが目標なら船にこだわる必要はない。
どうしても特定の船じゃなきゃダメだってなら一緒に溺れ死ぬ覚悟があるならそれもいいだろう。
学校とか仕事を途中でやめると悪い、みたいな風潮がある。
お国のために〜とか、終身雇用で勤め先に忠義をはらい、企業戦士とかモーレツ社員をやっていた時代があったからだろう。
その名残が未だにある。
まぁ、これからも結局人々は群れて、何か団体をつくって、その団体戦をやるのだろうけど。
カラーギャングも会社員もたいして変わらねえ
ある政治家が所属先を転々し、鞍替えだと批判されている。
私は別に鞍替えするのは構わないけど、主張が変わってるのはどうかと思う。
一貫性がない。
とはいえ、一貫性が無いのは決して悪いことばかりではない。
間違いを貫くよりも、間違いに気づいて修正することは良い。
それに細胞は変わっていくのだから時が経てばヒトは変わる。
女性の場合はその変化ってのが顕著に出る気がする。
ホルモンのせいだろう。仕方ないこと。
まぁ、1隻の船で海を渡るのもいいだろうけど、何隻も、その時々の自分に都合の良い船に乗って海を渡る方が「航海」は果たせる。
どの船で海を渡るか、ではない。
海を渡られればヨットだろうが大船だろうがいいのではないか。
死んでは本末転倒だ。