ending_will’s blog

脳MRI in 便所

生きるとか死ぬとかに色々思うけど、確かなことは このまま生き続けることは苦痛である、ということ。

 

台風19号、みんなの不安とは反対にやや期待していた。

 

やっと死ねる。

 

数千人規模でどうしようもなく死ねる。

 

 

結果からいうと残念ながら死ねなかった。

 

 

そんなに死を乞うなら○○すれば、と当記事を読んでいるバカは思うだろうけどそうじゃないんだ。

 

 

自称健常者の白痴共らには解らない。

小言

そいつおもんない と馬鹿にされて怒り、彼のことを本当に尊敬していたと改めて実感する。

 

反論するも愚か。分かるやつにだけ分かればいいが、自身を正しいと思うのもまた愚かなことなので、黙ればよかったか。

 

馬鹿なやつほどよく話す。

馬鹿に何を言っても無駄なのに。

加油!

相変わらずクソみてえなニュースばかりで胸糞悪い

 

中でも

教員から教員への「いじめ」

 

いじめ って便利な言葉だなって思う。

 

刑法に抵触するような言動にも関わらず「いじめ」と表記することで法的措置をとるまでもなく、学校やその小さな環境の中で独自に処理するものと軽くされるからだ。

それもその環境の中でのルール、都合によって処理されるから公正ではない。

 

法的措置をとっても必ずしも公正な判断が下されるとも言い難いが。

 

 

どっちにしてもそういう被害が表面化すること自体が少ない。

多くの場合は被害者が泣き寝入りして終わる。そして退学、退職、自殺……。

 

加害者は平然とのうのうと暮らし、社会的地位を高めていく。

 

 

弱肉強食!

 

 

最近、ロシアの男がiPhoneのアプリを通じて同性愛者になったからという理由からAppleを訴えるということがあったそうだが、これくらいの気持ちでジャップもキレるのも大事かもしれない。

 

 

それにしてもこのロシア男の訴えはもっと別のとこにありそう。バカを演じる賢者か、ただの逆ギレなのか。

 

私の好きな詩に

 

吃る というのは口が言葉を乞う みたいなのがある。

うる覚え

 

私は吃音ではないと思うけど、やや構音障害がある。

 

音声をもちいたコミュニケーションに障りがあると仕事及び生活そのものの可能性が狭まる。

 

意外にもできることが減るのだ。

 

視覚ほどではないが、聴力や構音の障害も大変なものである。そう思うと身体障害者(区分的には身体のはず)も大変である。

 

なんにせよ障害者というのは生きづらい。

 

 

本格的に耳や口が効けなくなっても現在の私はこれ以上困りはしないだろうし、今後も困ることはないだろう。

もう落ちるとこまで落ちているのだから。

むしろちゃんと効けなくなってしまった方が有難いとさえ思う。

 

何も聞こえなくていい。何も話せなくていい。

 

しかし視力を失ったら困る。

死んだ方がマシだと思う。

いや、今でさえ死んだ方がマシなのですが

 

視力を頼りに生活をしている。

衣食住とか根本的なことはもちろんだが、まぁその娯楽だとかも含めて。

 

 

とはいえ聴力もそれを1部担っている訳です。先程何も聞こえなくていいとは云ったものの、少し困る。

 

 

昔接してくれた人が土日なんかに“エサ”を録音してくれた。

 

たかがヒトの声だが、それに救われていた。

 

人工呼吸器だとか酸素だとか大袈裟な言い方もしたものだが、あながち間違っていない。

 

 

ぬか喜び。

 

 

死を常々思う。思わさられる。

 

 

音楽や声なんて所詮は振動に過ぎないのだが、そんなものにでも救われる時はある。

 

 

聾になっても瞎にはなりたくないと思うけど、無音なのは瞎並に真っ暗なものかもしれない。

 

なんて女脳みたいなことをふと思う。