優れた毒
死生観について視野を拡げようと遺伝子に関する新書を読んだ。
気になった箇所があったので引用
各世代はフィルターであり、篩なのである。すぐれた遺伝子は篩の目から次の世代へと落ちてゆく。劣った遺伝子は若死するか、繁殖しないで死ぬ身体のなかで終わりを迎える。
とのこと。その通りだと思う。
私は常々、善悪はない、生きるか死ぬか弱肉強食!と極端に思っている。
しかし、繁殖を続け、遺伝のコピーを増やしている者が優れたと遺伝子といえるのか疑問に感じた。
異性の相手をみつけ、交尾に成功することができなかった者は劣った遺伝子なのだろうか。
私自身が劣った遺伝子、生物であることには疑いはない。
私は反出生主義の気が少しある。
そして子持ちに対して嫌悪感もある。
だから私情が混じっているだろうが、優劣に疑問に思う。
ガキがガキをつくっているようなあんなバカどもが優れた生物で、子どももいないし異性のパートナーもいないような者が劣った生物か、と。
生物とはいえヒトだからと特別視はしたくない。
ヒトも所詮は動物。だからその辺の動物と同様に考えたい。
ヒトの社会にあるものもナワバリや狩猟能力に変換して考えられる。
羽を広げたり牙を向けたりはしないけど、学歴や収入の高さを言動や物でアピールしたりする。
でも学歴や収入が高くても異性を性的に見ない、性行為して繁殖しないというヒトもいる。それは劣っているか?私はそれが劣っているとは思わない。
まぁ、できるけどしない のと、したいけどできない の違いなんでしょうけど。
でもそれこそが生物学的な優劣なのかなぁ。
性犯罪でも優れている ってことになるのかなぁ。
善悪や法律なんてヒトがヒトの言葉でつくった実体のないヒトだけの世界の概念だし。
性犯罪にしてもその他の暴力にしても、生物学的には加害者が優で被害者が劣 なのかな。
いじめ(犯罪)も大人の世界の犯罪も戦争もやられる方が悪くて劣っているのだろうか。
もちろんヒトとヒトが協力して社会をつくるのも生物らしいことだけど、ヒトとヒトとの間にも差がある。
ウイルスを生物とするかには賛否あるが私はウイルスも生物だと考えている。
新型コロナウイルスがヒトをたくさん殺したとしても、それはコロナが優れていてヒトが劣っていたというだけのことなのだろうか。
いじめにしても何にしても やられる方が悪いという考えは年の古い方に多い。
そんな猛々しい愚かな者たちが目に見えないほどの生物に殺されてしまうのがなんとも哀れだ。