時代錯誤
思っていることを言語化することは難しい。
特に悲哀、怒りは難しいと考えている。
医療機関を受診する際、症状を伝えるのも難しい。
身体外傷なら視覚化できるので自他ともに分かりやすいのだが、内科、脳神経(精神科)の症状を伝えるのは難しい。
なぜこのようになっているのか分からないから困っているのだ。
仮に分かっていたとしてもより詳しい症状の理解、療法、対策に繋げられるかどうか別だと思う。
いや、今回は身体と内部障害のことが書きたいのではない。
(しかし密接な関係があると考える)
世代による差について、とてもスカッとするような文章を見つけたので引用する。
“ 長年、団塊親と団塊ジュニアは同じ社会に生きているのに、まったく違う光景を見ていた。経済成長の時代を生き、安定した職が得られた上に賃金は右肩上がりという「成功体験」を持つ親。かたや、社会に出ると同時にバブル崩壊後の不況の荒波にブチ込まれ、以来右肩下がりのこの国で喘ぐ団塊ジュニア ”
“ 「頑張れば報われる」。団塊親のそんな言葉を信じて頑張ってきたのに、時代は気がつけば「どんなに頑張っても一定の人は決して報われない」社会になっていた。しかし、団塊親にはそれが見えない。実感として、わからない。だからこそ、自分の息子、ムスメが「怠けて」いて、「努力が足りない」ように思える ”
“ 団塊親は可哀想だとも思う。
なんたって、自らが信じ込み、子どもにも教え込んできた1億総中流時代こ神話「頑張れば報われる」がバブル崩壊で一瞬にして嘘になったのだ。
団塊親は嘘つきだと、多くの団塊ジュニアは思っている。だけど、言わない。言ったところで「社会のせいにするな」と突き放されるに決まっているからだ。”
“ 生まれた時からずーっと「自己責任」と言われている。その上、怒るためには自己肯定感が不可欠だ。しかし、そんなものは教育課程でとっくに奪われ尽くしている。どんなに酷い目に遭っても「どうせ自分自身なんてこんな目に遭って当然だ」「そういう社会なんだ」と思っていれば怒りなど生まれない。それどころか、職場の人で暴力を振るわれようと暴言吐いを吐かれようと「雇ってもらえるだけ有り難いと思え」と刷り込まれている。自己肯定感を奪われ、自己責任論が内面化された人間が「怒る」とどうなるか。その怒りは、自分に向かうだけである。自傷行為か、自殺。「社会のせいにするな」と言われて育てば、誰も責めずに自らの命を絶つしかない。その上、それと同じくらい「人に迷惑をかけるな」と言われている。”
『世代の痛み 団塊ジュニアから団塊への質問状』著 上野千鶴子,雨宮処凛 /中公新書ラクレ
より引用(P4〜P7 ※当ページの作者は雨宮処凛氏)
この文を読んでスッキリした。
分かっていたけど、そう、こういうこと。
度々似たようなことをあちこちで云ってはいるがうまく言語化できず少し歯痒かった。
自分に指示、教育という名の洗脳してきた大人(学校教員、保護者、そのへんの大人)が悪意の有無に限らず無理解と従来の古く間違った洗脳をそのまま下の世代にも押しつけている。
そして下の世代の者たちにも負の連鎖が続き、障害が生じる。
障害者総合支援法の規定する「障害」ではなく、
人と人の間にできる障害である。
そして愛着障害を抱えたまま社会にブチ込まれ、うまく適応できず外れたり自殺したりする。
が、適応できなかった者が怠けている、努力が足りないとは思わない。
やっぱり、環境が悪いってこともあるんじゃないかな。
ところで選挙に立候補し、騒音を散らしている偽善者共はそれだけ綺麗事をでかでかと喚くことを美徳だと思っているのだろうか?
彼らなりの努力は空回りし、むしろ迷惑に感じる者もいると気づかないのだろうか?
そんなものが政治をやれば、どうなるかは……。
また、どこかの酒カスが適応障害をつかっているらしいが、もし嘘だとしたらとんだ迷惑だ。
そしてそれに加担した医師も迷惑だ。
それと同類のようなアナウンサー上がりも相変わらず阿呆である。
日本維新の会ってこんなに程度が低かったか?
俺結構好きだったんだけど残念だな。