ending_will’s blog

脳MRI in 便所

社会復帰をしくじったので相変わらず連休が続いてる

嬉しくなんてない

 

なんでもいいから 活動をしたい

 

といってもそれに伴う適応能力が無いのだが。

不完全燃焼のようなものだ。

社会が柔軟になれば俺は問題なく生活できるのに。

世界中から時計を無くしたい。電気を断ちたい。

原発の連中が電化製品を全てぶっ壊してくれたらいいのにな。

停電を起こせばいい。電線を切断しよう。電柱をぶっ壊そう。

環境にもいいしね。

最近は電気自動車なんてのが増え始めてきてはいるけど、水素を排出しようが環境に無害ってことはないだろう。そもそも製造過程もエコロジーなのだろうか?

 

老害が車で人を殺した事件があったからか免許を返納するというまともな判断ができる人がそれなりにいたようだが、そもそもペダルひとつでヒトを殺せるようなものが有ること自体が問題なのだ。

前にも書いた気がするけど刃渡り6センチ以上の刃物を所持していると銃刀法違反になるが、そんなナイフなんかよりも車の方がよっぽど危ない。

もちろん事故を起こすような脳神経の衰えている老人(老人に限ったことでもないが)や反社会パーソナリティ障害のようなチンピラといった運転手も加害者だが、走る凶器を製造、販売している者達も同罪のように思う。

 

事故を起こさないためにはメーカーの自動ブレーキ機能の向上なんかよりも車そのものを作らない、乗らせない、乗らないが1番良い。

 

 

 

 

 

社会貢献すれば気が紛れるかと思って善人ぶった言動を演じ続けるもそれはそれでストレスであった。

女は遺伝子的にそういう演ずることのストレスが男よりも少ないというか耐性があるから接客業なんかをピエロのようにできるのが羨ましい。

 

 

男女雇用機会均等法が施行され、専業主婦ならな専業主夫という生き方が可能になっているのに男には結婚という「逃げ」ができない。

 

無職の女は結婚して男に寄生して生き続けることが可能なのに、無職の男は…

 

いや、男でもヒモとして生きている者もいるか。

 

 

はたして学歴も収入も、優れた容姿もない俺に需要はあるのだろうか。

 

 

そんなことを微熱の頭で天井を見ながら考えていた。

 

退屈だ。

しかし外出するエネルギーもない。テレビを観るのもしんどい。

 

孤独。

 

 

潜水艦に数ヶ月乗ってると精神が衰弱するという。そりゃそうだ、日光も入らない閉鎖的空間だ。食事しか楽しみがないという。

 

 

刑務所の独居房もそう。無音の空間でひたすら時間が過ぎていくのを待つだけ。

 

ムショでワルをやると独居房行きにするという罰があるが、精神を衰弱させようという目論みなのだろうか。

 

 

そう思うと精神科病院で入院し、治療するのは治療になるのだろうか。

 

 

生きがいとはなんだろう。

 

 

俺はどうしたらいいのだろう。

 

やはり死ぬってことでしか解放されないのだろうか。