ending_will’s blog

脳MRI in 便所

Ironie

ぼんやり

 

昨夜(といっても夜は寝てない、寝れないので朝なんだけど、私にとっての朝は夜)、薬を飲み忘れたせいか相変わらず睡眠障害が酷い。

 

のび太の親がいたら怒られそうだ。

 

人それぞれ睡眠リズムは違うのに夜寝て朝起きるべき、みたいな謎の慣習があるのが気に入らない。

きっと、それが「正しい」ような気がするけど。セロトニンメラトニンが分泌されるので。

 

コンビニや飲食店で24時間営業をやっているところがあるが、あれは消費者にとっては都合が良いかもしれないが、そこで働く労働者にとって不都合なことがあるだろう。

営業時間や価格競争によって利益は得られるだろうが、失うものもある。

24時間営業というか薄利多売をやってるところは産業廃棄物や深夜に働かせることの弊害を学ぶべきだ。

 

 

・・・

正直、未だにセロトニンをよく理解できていない。

もう4年以上前からセロトニンという言葉を知ってはいるが、理解できていない。

恥ずかしい。情けない。

 

なんなんですかね、セロトニンって。

脳だけでなく、腸でも生成されるそうですが。

 

今日起きたのは18時。夜は朝。朝は夜。

 

昨夜(今朝)何も食べていないし、薬も飲んでいないせいか空腹感と無気力感がいつもより強くあった。無気力と空腹が合わさると厄介だ。今日はなんとか身体を動かせるエネルギーがあったが、どうしようもない時は本当にどうしようもなくて、寝たきり状態になる。

 

そんな時にALSも精神障害も変わらねえな、と思わされる。

身体障害者が羨ましい。難病指定されている病気に罹患している者が羨ましい。

 

不謹慎?うるせえ

 

俺にとっては羨ましいんだよ。

 

欲しけりゃ臓器でも命でもくれてやるよバーカ

 

いいなぁ、可哀想がられて、哀れまれて、支えてくれる人がいて。

仕方ないって思われて。

 

知的、精神障害者は「ヘンな人」とレッテルを貼られて終わり。

 

つくづく性格という概念が憎らしい。

 

スポ根モノに影響されすぎだ。脳神経の問題だ、バカヤロー。

 

ALSとそう変わらねえだろうよ。

 

身体を動かせても感覚過敏やPTSDによるストレスや不安が過敏だったりで外出できなければ意味が無い。

在宅、無音、遮光、孤独。孤独。孤独。孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独。

 

 

数日前に有った筋肉の痛みはなくなった。

別に死んでもいい。

 

死にたい、というか生き続けることを許されたい。

 

 

 

ある人にメールを送った。

 

 

謝罪。

 

 

許されたい。

 

でも、そう思うことは罪なこと思えて躊躇っていた。

自分がラクになりたいために他者へ危害を与えるような気がして。

それなら自分が苦しみ続けた方がいい。

自分だけが被害者で悪者で在り続ければ、それでいいと考えていた。

 

でも本当は自分は悪くない、自分は正しいとも思っていた。

現に医学を学び、病気を学術的に理解したら、ああやっぱりねと思えた。

 

だが、自分の間違いにも気付いた。

 

でも納得はできない。

介助者は相手にとって都合のいい道化を演じ続けなければならない。

それって虚しいことじゃないか?

それを虚しいと思うのは相手への愛が不足しているということなのだろうか?

 

 

 

私に好きな映画のラストシーンに、2発の銃声が響いて終わるものがある。

 

誰が誰を撃ったかは視覚的に描写されていない。

野暮だからね。

 

でもきっとこうだろうなと推測している。

 

私もそうするべきだったのかなぁ。

 

 

 

 

 

 

きっと僕達は生き続けても幸せになれないよ。

 

どれだけ医学が進んだって、社会が柔軟になったとしても、僕達は幸せになれない。

 

だから どう生きるか ではなく、どう死ぬか。

 

 

それが問題だ。

 

 

死は解放だ。